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【大学研究室Vol.20】生命現象の様々な場面で活躍する糖鎖。まだ解明されていない謎を解き明かし、糖質生化学の最先端をけん引していく

注目の大学研究室

岐阜大学 応用生物科学部 応用生命科学課程 矢部研究室
教授 博士(農学) 矢部富雄

糖質は厄介者だから意味がある

岐阜大学応用生物科学部の矢部教授が追いかけてきたものは「糖質」である。流行りのダイエットでは悪者扱いされる糖質だが、紛れもなく生命活動に欠かせない成分の一つだ。にもかかわらず、生命科学においては遺伝子やタンパク質の研究に比べ立ち遅れてきた歴史がある。
「いってみれば糖質は厄介ものなんですね。遺伝子やタンパク質の研究をして『こうなったらこうなる』というストーリーをつくる時、糖質があると思うような結果が出てこないのです。そこで偉大な研究者であるほど、極力糖質を取り除いてストーリーをつくり上げようとする」

だが矢部教授はその〝ままならなさ〞にこそ、糖質の意味があると考えている。「同じ種の生物であっても違いが生まれ、だから環境が変化しても全滅することなく一部が生き残る。その多様性の一翼を担っているのがおそらく糖質です。最初からそんな壮大なことを考えていたわけではないですが、見過ごされがちでも実は大事な研究だと考えて続けています」

矢部教授は日本ロシュ研究所やMIT、東京都神経科学総合研究所などを渡り歩いてきた。現在の職場である岐阜大学では、食物繊維のペクチンにフォーカスした「ペクチンプロジェクト」を進めている。ペクチンといえばジャムの成分として知られたもの。食物繊維は多糖類で構成され、ヒトの小腸では消化されないという性質を持つ。

そのペクチンを摂取すると、小腸の内壁にある絨毛という毛のような突起が伸びるという現象が知られていた。矢部教授は、そのメカニズムを研究し、栄養吸収の働きを担う小腸の上皮細胞がペクチンを識別する機能を持ち、それが細胞表面や細胞外マトリクスに存在する糖鎖であるヘパラン硫酸に作用して、細胞が増殖し始める(絨毛が伸びる)ことを突き止めた。では、ペクチンを摂取すると絨毛が伸びるということが、人体にとってどんな意味を持つのだろうか。「いいことかどうか、実はまだ判断がついていないのです(笑)。しかし我々としては当然いいことだと考えています。絨毛が伸びると栄養を吸収する効率が上がりますから。ではどうしてペクチンにそのような作用があるかというと、ペクチンはカルシウムや鉄分などのミネラルを抱え込んでいて、それを吸収するために絨毛が伸びるのではないか。それを確かめる研究をしているところです」

「糖質は非常に複雑怪奇な働き方をする」と矢部教授。研究の難しさもそこにあるようだ。「例えば、ヘパラン硫酸が正常につくられなくなると脊椎動物の心臓が左ではなく真ん中にきてしまう、ということがわかっています。ところがいまだに何が正常で、何が異常なのかわからない。私たちは今、何が正常なのか、解き明かすことから始めているのです」

毎日の食事から健康寿命を延ばす

矢部教授はこうした研究を食品に生かそうとしている。自身は農家の生まれ、「病気を治すより、病気にならない体をつくるための食品に興味を持つようになった」という。
「健康寿命を全うするために一番大切なのは、やはり毎日の食事です。ペクチンを多く含んでいるのは野菜で、『野菜を毎日食べるといい』とはよく言われますが、それをもう少し推し進めて、野菜を食べることで体の中で何が起きているのか、解き明かしていきたい。それで健康寿命が延びるような成果が出ると、いいですね」

過去100年、糖質科学をけん引してきたのは、実は日本人の研究成果だという。生命科学における糖質の重要性が認知されるにつれ、世界的にも少しずつ若い研究者が増えてきたが、その裏には先人たち、日本の研究者たちの努力があったのだ。「過去の研究を日本語で吸収できるという点で、私たちには大きな恩恵があります。そういった過去の仕事を引き継いで、研究者を増やしていくという意味でも、もう少し頑張っていかなければと思っています」

「ペクチンプロジェクト」は食品業界の注目も高い。「ペクチンには食品添加物として長い歴史があります。
すべての野菜や果物に含まれていて、クエン酸と砂糖を入れて加熱するとペクチンの中の水を弾く部分が結合する。これがジャムです」

注目の研究

上/「ペクチンプロジェクト」とは別にヘパラン硫酸の硫酸化パターンを識別する化合物「HappY」も創出している。動物の皮膚ガンの診断薬として応用できるとして獣医学科と共同研究した
下/ペクチンが小腸を通過すると絨毛が伸びるという現象には糖とタンパク質の複合体であるプロテオグリカン(ヘパラン硫酸)がかかわっている。細胞表面や細胞外マトリクスという領域に存在するもので、様々な生理機能の調節に役立っている。絨毛が伸びるのは腸管上皮細胞が増殖するためだが、増殖する一方では細胞がガン化してしまう。ヘパラン硫酸は細胞の成長因子になるタンパク質をトラップする役割を果たし、細胞の増殖をコントロールする

矢部 富雄
教授 博士(農学)

やべ・とみお/1999年、東北大学大学院農学研究科博士課程後期修了。日本ロシュ株式会社研修生(95~98年)。MIT化学科博士研究員、ハーバード大学医学部客員研究員(99~2002年)。東京都神経科学総合研究所研究員(02~04年)。04年10月、岐阜大学応用生物科学部助手。准教授を経て、16年4月に教授。同年10月、同大「生命の鎖統合研究センター」を兼務。

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