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【新進気鋭の研究者Vol.1】世界ナンバーワンの技術はどうやって生み出されたか。日本電気_今岡仁

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日本電気株式会社 情報・メディアプロセッシング研究所
主席研究員 博士(工学) 今岡 仁

世界ナンバーワンの顔認証技術。
研究開発リーダーとして、さらなる高みを目指し続ける

2007年、大阪市のユニバーサル・スタジオ・ジャパンに、顔認証技術を活用した入場システムが導入された。年間パスを持っていれば、専用のゲートから文字通“顔パス”で施設に入れるこのシステムを支えるのが、日本電気(NEC)の顔認証エンジン「NeoFace」である。その認証精度はダントツの世界トップで、出入国管理などを中心に、すでに30システム以上、20カ国以上で使われている。開発の中心になったのは、大学院で応用物理を学びつつ、ある意味大学での研究を“あきらめて”民間企業への就職の道を選んだ今岡仁氏だ。そんな彼が“ナンバーワン”を勝ち取る鍵は、どこにあったのか。

「脳を究めたい」とNECに就職。やがて顔認証の世界へ

1970年、東京・練馬に生まれた今岡氏は、小さな頃から「学者になりたい」が口癖だったという。
「祖父が東大農学部の教授だったんですよ。子供心に、大学の先生ってなんか賢そうだな、と(笑)」
実際、数学が得意だった少年は、高校卒業後、大阪大学工学部応用物理学科に進む。学部卒論では、「半導体回路テスト容易化設計」をテーマに選び、そのまま大学院へ。

「研究は面白かったですよ。得意な数学を生かして、大学でずっと理論物理の道を究めたい、という気持ちがなかったといったら嘘になります。でも、周りには徹底的に頭のいいIQ200なんていう人間がたくさんいる。年を重ねるにつれ、はたして彼らに太刀打ちできるだろうか、という思いも頭をもたげてくるわけです。一人研究室で何十ページもある式を計算していたら、このまま一生終わるのだろうか、と急に寂しくなったこともありました」

迷った末に出した結論は、「社会に役立つことをやろう」と、「大学の外に出て働く」ことだった。
「ただし」と今岡氏は言う。

「院で勉強して、論文を3つ書き、ドクターを取得したことは、面白かっただけではなく、その後の仕事の糧になりました。企業に行くにしても、そこで技術のスペシャリストとして活躍するためには、博士課程の修了は必須のステップだったと思います」

就職先に選んだのは、大手電機メーカー、NECの研究所。「知り合いの先生の紹介」が縁だった。実は「脳の研究ができる」という話に、強く惹かれるものがあったという。「入社は97年だったのですが、当時、数学・物理の研究テーマとして、『次は脳が来る』といわれていたんですよ。複雑系をやっていた僕としても、ぜひ取り組んでみたい分野でした」 かくして、基礎研究所探索研究部の一員となり、脳の視覚情報処理に関する研究開発に従事する。

「人が見た画像が、目の網膜から入って大脳皮質に行き、第一次視覚野に到達し……という流れを計算論的に明らかにして、視覚についてのモデルを作成しようというのが、ざっくりした研究テーマです。でも、やっていくうちに、短期間で事業化するのは難しい領域であることがわかってきた」
企業が、先の見えにくい基礎研究に資金と時間を注ぎ込み続けることは難しい。その研究は、5年で中断に。

2002年、今岡氏は情報メディア研究所に異動となる。そこで新たに課せられたミッションが、顔認証技術の研究開発だったのである。「当社は90年頃から顔認証に関する研究を始めていて、99年にはシステムを商品化していました。ただ、正直、精度は現在とは比べようもなく、他社の製品も含めて『”三文判”みたいなものだね』という感じでした。個人認証としては、”実印”には使えないレベルだったのです」と当時を振り返る。 顔認証のステップには、大きく分けて「顔検出」「特徴点の抽出」「顔照合」がある。画像から「顔を見つけ」、その「特徴点を見出し」、それがデータベースにあるものと「同一人物であるかを判定する」わけだ。研究所にはそれぞれに携わる3つのチームがあったが、今岡氏は”照合”を任される。

「とはいえ、この分野の研究に必要な画像処理についての蓄積はまるでなし。おまけに、直接の上司だった人が半年くらいでほかに移ってしまい、そこからはチームどころか、照合に関する開発を一人で担当することになりました。丸腰で新天地に挑む心境でしたよ」

チャレンジしてわかった”世界最先端”の成果

あらためて「顔認証」について概観しておこう。

現代社会になくてはならない「本人認証」を、人間の身体的、行動的な特徴によって行うのが「生体認証」だ。ポピュラーな指紋のほか、指の静脈、虹彩(角膜と水晶体の間の膜)、声紋、筆跡、DNA、そして顔も、本人かどうかを見極める素材となりうる。

生体認証には、パスワードや暗証番号などと違って、忘れない、なくさない、盗まれない――というメリットがある。さらに生体認証の中でも、顔認証は、指紋を押しつけるといった特別の操作が不要で、離れた場所からも個人認証を行えるのが特徴だ。

とはいえ、それは様々な条件の下での正確かつスピーディーな認証が保証されてのお話。

「人間は、いつも真正面を向いているとは限りません。また、笑ったり口をきつく結んだり。そもそも顔は経年変化するし、眉毛は剃るかもしれないし、メガネをかけたりもする。どこでどうやって照合させたらいいのか、という本筋を見つけるところに、かなり苦労しましたね」

あまたある課題を前に、まず決断したのは、その絞り込みだった。

「横や斜めの顔も3Dを活用すれば……といったことも考えていたのですが、待てよ、と。例えば、パスポートの認証を考えたら、“横”はいらないわけです。ならば、まずは正面について精度の高いソフトの開発を目指そう、と明確に目標を定めました」

開発の核にあったのは、例えば独自のアルゴリズムの構築である。同時に、「“顔を知る”ための“ベタな”作業も欠かせなかった」と話す。

「顔の経年変化はわかるけれども、では、それはどのように変わっていくのか? いろんな人に過去のパスポート写真を持ってきてもらったりして、ひたすらデータを集めるところから始めました。外国人の顔も必要だと、芸能事務所に無理やり頼んで写真を撮らせてもらったこともありましたね。何に使うのか、ずいぶん訝しがられましたけど(笑)」

3つのチームが連携した地道な努力は、そう日を置かずに結実する。03年、新たに開発した「NeoFace」(コラム参照)の海外出荷を開始。08年にはマカオ入国管理局の自動出入国審査システムに採用されるなど、海外で高い評価を受けたのである。

しかし、今岡氏はここでまさかの壁を実感することになる。思うように販売が伸びないのだ。その現実に直面し、「役に立つものをつくりさえすれば使ってもらえると考えるのは甘い。やるのならば、世界で圧倒的に勝てるものにして、それを市場に認めてもらう必要がある」と認識を新たにした。

かくして米国標準技術研究所(NIST)の顔認証ベンチマークテストへの挑戦を決めたのは、08年のことだった。生体認証の分野で世界的に権威のあるこのテストでは、例えばFBIなどがスポンサーになって、各国のベンダーが自社製品の性能を競う。

それから2年間、さらなる技術開発などに注力し挑んだテストの結果は、10年6月に発表された。なんと同社製品のエラー率は0.3%と、2位以下の8分の1というケタ違いの照合精度を実現していた。加えて処理速度でも他を圧倒、1~8年の経年変化によるエラー率の推移から、性能低下がほとんど見られないことも実証される。

「結果が出た時は、『やった!』というより、ほっとしたというのが実感。これでまだ続けられるな、と(笑)。どこが優れていたか、ですか? それはアルゴリズムだったり、使ったデータだったり……でも、僕ら自身もわからないところが数多くあるんですよ。他のベンダーのアルゴリズム自体を知っているわけではないですし」

もう一つ聞いてみたいことがあった。

「5年間やった脳の研究は、顔認証に役立ちましたか?」

「脳はどのように他人の顔を認識しているのか、そんなことを折に触れて考えていたのは事実ですね。それが、普通は思いつかないアルゴリズムの構築などに生かされたのかもしれません。そもそも僕は、画像処理専門の人たちとは違う数学を知っていたので、差別化のうえでは、そこもすごく役立ったように感じるんですよ」

自らの好きなこと、目の前の研究に全力を尽くすことの大切さを教えてくれるストーリーではないだろうか。

“横道”に面白い研究もある。めげずに進むこと

NISTベンチマークテストでトップに輝いて以降、「NECの顔認証」は、新聞、テレビなどメディアにも多く取り上げられるようになり、認知度が大幅にアップした。同製品は、次の14年のテストでも連覇を達成。現在、その照合精度はさらに改善されている。

今岡氏自身は、13年に社内でも5人しかいない主席研究員に就任した。さらなる研究開発に勤しむなか、時々大学で学ぶ若い研究者向けに講演を頼まれることもあるそうだ。そんな時に強調するのが、「大事なのは、『なぜ勝てるか』ではなく、『どうしたら勝てるか』を考えること」だという。

「NISTのテストに出ようと決めた時、『本当にお前が勝てるのか?』と周囲から言われたりもしたんですよ。悩んでみても、『なぜ勝てるか?』の答えは浮かばない。だから、ある時点でそこを考えるのはやめました。代わりに行きついたのが、『ゴールへの最短距離は?』『今できることは?』『逆にやるべきでないことは?』という方法論に、自らの意識を集中させることだったのです。その発想の転換ができて以降は、不思議と心が落ち着き、迷いもなくなりましたね」

さらに今岡氏は、ここまでの自らの道程を振り返りつつ、こう述べる。

「僕は、ある意味大学での研究をあきらめて民間企業に就職したわけですが、少しは世の中の役に立てたかな、と今はけっこう満足しているんですよ。こんなふうに、大学にいてもふっと横を見ると、そこに自己実現可能なフィールドが広がっていることもある。いろんな不安もあるとは思いますが、未来を信じ、めげずに課題に挑戦していってほしいのです」

十分“実印”の域に達した同社の顔認証だが、まだゴールではない。

「真横を向いた顔とか、極めて低解像度であるとか、どこまで情報量の少ない画像で認証できるのかは、まだ先のあるテーマの一つです。最近、それを突き詰めていけば、もしかしたらその知見を途中でやめた脳の研究にフィードバックできるかもしれない、なんていうことも考えているんですよ」そんな今岡氏には、ぜひ実現したいリタイア後の夢がある。

「当社のソフトが入った認証システムをもっといろんな国々に広げていって、そのすべての国を巡るのです。空港のゲートを通るたびに、『今回も無事に認証された』とニンマリ。こんな贅沢な世界一周、ほかにないでしょう(笑)」


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いまおか・ひとし
1970年、東京都練馬区生まれ。97年、大阪大学大学院工学研究科応用物理学専攻博士課程修了後、日本電気株式会社入社。脳視覚情報処理、顔認証技術に関する研究開発に従事する。2013年、同社情報・メディアプロセッシング研究所主席研究員に就任。情報処理学会、電子情報通信学会、日本神経回路学会会員。博士(工学)。
日本電気株式会社
代表者/代表取締役 執行役員社長 新野 隆
従業員数/連結 9万8882名(2015年3月末現在)
所在地/東京都港区芝5-7-1

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